「子育てに正解はない、は育児放棄!」と友達がsnsに投稿して傷ついた話

私は「子育てに正解はない」と考える親です。

子育てに正解はないと思うことで、気持ちが落ち着くこともあったし、考え方が違うママ友とも共通認識として前提にあるからお互いを否定せずに共存してこれたと思っています。

そう思っていたので、友達に赤ちゃんが産まれたので会いに行った時に大変そうな様子を見て「大丈夫だよ、子育てに正解はないって言うし。親も子も辛くならないように無理しないで過ごしてね」と声をかけました。

でも彼女はその数日後snsに「子育てに正解はないって言葉は好きじゃない、親の責任逃れに聞こえる、しっかり学ぶべき」と投稿したのです。

そう言われると、何も学んでないわけじゃない、育児書たくさん読んでそれでも今目の前のことで分からないことがたくさんあるんだよ!と言い訳をしたかったけど、そんな心の余裕もなく、開き直って深入りするのはやめようと諦めました。

子育てに正解はないと感じるとき

そう思うことは度々ありましたが、特に強く感じたこととしては、予防接種を受けること、保育園に預けること、教育のことが挙げられます。

予防接種は定期と任意があるし、それ以前に受けなくても良い

出産後すぐに迷うのが予防接種。私自身、薬とか予防接種とかが好きじゃないのに、子供には当たり前のように受けさせるというのが最初は受け入れられませんでした。それでも親に私が子供の頃に受けた予防接種の話を聞いたり、予防接種の必要性や歴史を知り、主人と相談し必要だと思うものは最低限受けさせようという結論に至りました。

任意はなぜ任意なのか、定期はなぜ定期なのか、を批判的な意見も肯定的な意見もどちらにも一通り目を通しました。特に娘が予防接種を受ける頃は子宮頸がんの予防接種の副作用がメディアで多く取り沙汰されている時だったので、任意から定期に変わったものはなぜ変わったのか、なぜ以前は定期ではなく任意だったのか、をよく考え納得してから結論を出すようにしました。他にも予防接種については情報や意見が多くあるので考えをまとめるのは大変です。

そして我が家の場合は、他の家庭と受ける予防接種が異なっていきました。保育園へ預けるため、受けれるものはほぼ受ける、という集団予防を考えた方針を持つ方が周りに多かったのです。周りにどんな人が多いか、をリサーチするのも大切だと思います。

水ぼうそうの予防接種が任意から定期に

水ぼうそうの予防接種は2014年10月に任意から定期に変わりました。昔は大人になってかかったら重症化するから子供のうちにもらっておいで、と言われていたけれど、子供のうちでも重症化したら大変だから予防接種で免疫をつけておいで、という話です。

嘘か本当か、水ぼうそうになってできる抗体と違って予防接種の抗体効果は20年前後という話を聞けば、20年後のことを考えて自然に今かかってしまった方が良いのではないか、と思うし、高熱が出るから無精子症防止のために受けた方がいい、と聞けばそう思うし。

絶対なんて言葉はないと考えれば考えるほど「親が決める」ことなんだと実感します。一度決めてもそのあとにいろんな意見情報を聞くと自分の決めたことは間違いだったんじゃないかと不安に押しつぶされそうになります。

「育児に正解はない、でも親の私が選んだんだからとにかく元気に育つことを祈ろう、もしもの時はきちんと向き合おう」と思うのです。もしもの時のことなんて考えたくないけど。

保育園に預けることは善か悪か

「保育園に小さい頃から預けて可哀想」「たくさんの成長がある3歳まで一緒にいたいと思わないのか」直接こういった言葉をかけられたことはありません。

私は首都圏で仕事をしていたので、保育園に預けるという選択はほぼ一般的だと感じていました。保育園に通わせたい親が周りに多く、幼稚園にいれる予定だという親も「働いていて自分の時間もあって羨ましいな」という肯定的な意見を言ってくれる環境でした。

生後半年のときに保育園入園の最初のタイミング訪れました。産前は半年で保育園に預けて復帰するつもりだったし、このご時世ありがたいことに認可の保育園にも通ることができたのです。

しかし、正直「もうちょっと付きっきりで子育てがしたい…」と思っていました。そして認可の保育園に通りながらも、他にもいろいろなことが重なり入園せず1歳までの育休をとることにしました。

その1歳のタイミングでは保育園に入れず、実際は1歳半での入園となったのです。1歳のタイミングでも私は「まだ保育園いれたくないな、入れなくてラッキー、育休延長できる」と思っていました。そして1歳半の頃には、娘がたくさん歩いて周りのことに興味をもって楽しそうにしている姿を見て「保育園に入ったらこの子も楽しいだろうな」と思い特に葛藤もなく保育園へ送ることができたのです。

結局、上で書いたようなことは、誰かに言われたわけではなく、私自身が思っていたことでした。私は1歳半で特にそういったことを思わず送り出せたけど、人によってはそれが3歳だったり生後半年だったりするわけで、ましてや気持ちだけの問題で片付けられないケースもあるわけで…やっぱり子育てに正解はないなと思うのです。

最高の環境で教育を受けさせてあげるのが親の役目

娘が0歳の時に仲良く遊んでいたお友達のママがよく言っていました。自分が用意してあげられる最高のものを提供してあげたいから引っ越すことも辞さない、お金はいくらかけてもいい、と。ただ正直そんなにお金あるのかな?と疑問に思う家庭環境でした。

私は一般的にハードルが高いといわれる学校で教育を受けている子たちの家庭環境を高校生の頃に目の当たりにしてきました。もちろん一般家庭の子も多くいましたが家柄がよかったり、豪邸に住んでいたり、そういった家庭環境の子もたくさんいました。

お金をかけることが最高の教育なのか、背伸びをすることが最高の環境なのか、と否定的に考えてしまいます。

私は本人が学ぶことに向き合える環境を用意することが大事だと思っているので国立小学校に入れてあげたい、とか私立中学に入れてあげたい、とは思っていません。でもこれも私のエゴなので「なんで小学校受験で大学までいけるところに入れてくれなかったの!」と娘に言われてしまうこともきっとあるでしょう。

もうまとめられず、これも「子育てに正解はない、自分が良いと思うように進めて本人の考えが何かあるときにきちんと柔軟に話が聞けるように待機してよう」と思っています。

子育てに正解がないなら、何があるのか

子育てについては主人とたくさんのことを話します。上で書いたようなことも、今日ママ友とこんな話をしたよ、とか、娘が友達とこういったコミュニケーションをとっていたよ、とか。主人も会社の人のお子さんのお話をしてくれたり、それに付随した考えを話してくれたりします。

 そして私が不安に思うことや悩むことに対して同調してくれたりリードしてくれたり、本当に良いパートナーだと思います。

今回、子育てに正解がないっていうのは育児放棄ってsnsに友達が書いたことを思い出すとムカムカする!とLINEで送ったら「育児に正解はないでしょ、ポリシーの問題だよ」との返信が。

ポリシーというのは、考えるうえでの原則、基本方針ということでしょう。

どんなポリシーを持って子育てをしていくのか。そのポリシーは考えさせられるタイミングが何度も訪れているように感じます。主人とその話を普段から少しずつできていることに、またそこに大きなすれ違いがないことに嬉しく思いました。

タイトルについて

刺激的なタイトルにしたけど、お友達が言いたかったことは「後悔しないための知識を身につけて子育てをするべき」という意見だったと思います。自分が心の拠り所にしていたことを「好きじゃない」と言われると過激に反応してしまいますね。そして女性特有の脳内変換。これは特に子育てってナイーブな問題だからだとも思います。

独りよがりな対抗記事でごめんなさい。

おまけ

私「そうだよね!あなたと一緒に子育てできて良かったよ、ありがとう」

主人「おー、育児に正解があるっていう妻じゃなくて良かったわ」

この人と夫婦になれたことは私の人生における最高の出来事の1つだと思っています。笑

好きなことをブログテーマにすることの難しさが解決した話

自分の好きなことをテーマにブログを始めてみようとトライするも、何度も三日坊主となり続きませんでした。

私の好きなこと…マンションとか不動産かな、html関連のコードを書くことかな、映画かな、飲食店かな…と思いついては行き詰まる。

なんでだろう、mixiなんて黒歴史かと思うぐらい一生懸命書いてたのに。

大人になるって、こういうことを言うのね…と半ば諦めていました。

もう良い年だもの。

私は32歳既婚者一児の母です。

でも今日思い付きました。

私は日々起きてること感じてることに一生懸命なんだ!それを書こう!

私は結婚出産を経験し、子育てしながら働いてます。子育てと仕事の両立なんていうけど、どっちも中途半端。さらに言うなら趣味とか打ち込んでるものなんて何もない。

ただただ過ぎていく毎日だけど、私は幸せだと思って生きている。たぶん、それは主人に出会えて結婚して家庭をもったことに全て紐付いています。

自分のこれまでのことや、人との関わり、子育てで感じること…そういった日々起きてることに一生懸命なんだ、と思ったらそのことをブログテーマにすればいいんだ、それなら続くかもしれない、と思い付いたのです。

これで続かなかったら本当に悲しいな。

今日嬉しかったことがあって、誰かに言いたくて、でも誰かに言うと傷つく人もいて、そう思うと誰にも言えなくなって年のせいにして閉じこもる。

そうか!それをブログに書けば良いんだ!と初歩的なよくある動機でブログを書こうと思い付いたのです。

 

悩んでたのが嘘みたいだ!

難しく考えすぎてたんだ!!

たぶん